もう良いでしょう。新しい旅立ちを求めても。Time to say good-bye…….

行動、集会、の自由制限も限界があります。誰も言わないから敢えて書くが。新しい生活様式とは、

人との間隔を空ける、会話は真正面を避ける、会話をするときマスクを付ける、感染が流行している地域(どこを指すの)からの移動制限 正気で言っているのか。

いつまで無差別に三密を避けマスクの着用を強制しますか。科学的根拠が乏しく、ただ他がやっているからではなく、本来の民生上の不利益にも目を向ける段階ではないだろうか。公民館の利用状況は9割方前年に比べて激減しており、防災無線に加え、入館時の記帳、マスク着用、ウォーターサーバーの停止などが巣ごもりを助長している。大幅緩和という選択肢の時期を逸しないことを望むが、このままでは地域の経済も回らなくなる危機が迫っている。行政も市民も当たり前のことと思わず、再考してみるべきだ。

7月中旬のタムス浦安病院でのクラスター発生報道が悪循環に拍車をかけたが、行政はなかなか過去形から抜け切れていない。http://www.city.urayasu.lg.jp/fukushi/yobou/kansen/1028485/1029911.html

感染経路不明のPCR陽性者は、タムス浦安病院のクラスター以降も浦安市内では毎日のように報告されているが、殆どが感染経路不明とのこと。ゲノム分析の限界からも当然のことだろう。

比較的平易に解説した現役医師による告発である、無症状1人で学校閉鎖、PCRの現実 https://news.yahoo.co.jp/articles/3d7d20e96935695524407f76930305ca73a8ea14?page=1を読んで頂くとよく解るが、

PCR検査は病人の診療において、診断を補助するためのツールとして使われてきたもので確定診断としてのスクリーニング目的では無かった。新型コロナウイルスに感染している無症状者を見つけ出し隔離をするというのは本来の使われ方ではない。にもかかわらず、一部の医学者、経済学者、マスコミで、検査結果が100%保障されるものではないにもかかわらず、PCR検査の拡大が声高に叫ばれてきた。

PCR検査で検体を採取するデモンストレーション。検体の取り方だけでなく、検体の保存期間や保存状態も問題になることがわかってきた。ラボでの検査も複雑だ(写真:時事通信フォト)新型コロナのPCR検査件数は4月から5月にかけて1日平均で8000件台だったが、7月最終週からは1日平均2万1000件程度に拡大している。クラスター対策として、検査対象を症状のある人だけではなく無症状者へ広げているためだ。この間の陽性者はそのうち6%に満たず、また、陽性者の9割以上が無症状か軽症だ。無症状者を収容した場合も症状を持つ患者同様、医師や看護師の手間はかかるため、医療体制には大きな負荷がかかる。

新型コロナによるとされる死者は8月20日までの6カ月あまりで1154人、昨年の季節性インフルエンザの死者3571名をも下回る。そうした程度の病気において、感染のゼロリスクを追求して隔離目的のために結果の100%保障されない検査を大量の無症状者に行い、結果として一般市民の活動を萎縮させることは、適切な施策といえるだろうか。

新型コロナに感染した人の濃厚接触者を調査したところ、1人の無症状の小学生が陽性と判断され、その結果、学校が数日間も休校になり、学校に業者が入って消毒作業が行われた。 

ところが、その子の検査結果をよく見ると、検出されたウイルス遺伝子の量は陽性判定ぎりぎりだった。最終RNA産物1マイクロリットルあたりに換算して1コピーにも満たないというものだ。ウイルスを扱っている者なら、生きているウイルスの遺伝子数は100から1000コピーに1個であり、数コピーでは生きているウイルスは存在しない確率のほうがずっと高いことを知っている。もしも仮に存在したとしてきわめてわずかだ。検査結果が正しければその子が検査以前の数日間に周囲に感染を広げていたリスクやその後2~3日で感染を広げるリスクは、ほぼないと考えるべきだ。 

検査として大事なのは、条件反射的な白黒判定ではなく、対象者のデータの冷静な解釈だ。まず、すべきことは、値に再現性があるか、またその子の鼻でウイルスが増えているかどうかを、翌日再検査で確認することであって、休校にすることではなかった。なのに、その子も家族も周囲から白い目で見られ、他の子どもたちも勉強の機会を奪われた。

そもそもPCR検査はウイルスの遺伝子であるRNAを増殖して見るだけのものだ。不活性のウイルスの残骸でも捕まえてしまうことがある。濃厚接触の中で感染性のないウイルスに手で触れてたまたま鼻腔をさわっただけでも陽性になりうる。

ゼロリスクを求めるあまり、問答無用で本人が学校や職場を休ませられることはもちろん、周囲を消毒し、最悪の場合、学校や職場自体が閉鎖されるという大騒ぎが広がっている。そして、それがいつものように特別発表として報道され、人々に過剰な恐怖と分断をもたらしている。

今の「恐れすぎ」は公衆衛生として必要な範囲を超えている。「恐れすぎ」が蔓延して、ゼロリスクを求める動きにつながっている。「検査して隔離」は「恐れすぎ」による思慮を欠いた発想だ。完全にゼロリスクにすることなどできない。

ゼロリスクを追求するあまり、学校では入学式や卒業式もまともに行われず、再開しても、運動会も学芸会もない。子どもたちの思い出はどうなるのか。歌のない音楽の授業や、実験のない理科の授業、昼食の間はおしゃべり禁止だ。会話を楽しみながらの昼食も食育だろう。ボールや机のアルコール消毒など、先生たちも疲弊している。

 こんなことをいつまで続けるのか。

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