生活保護費を搾取する貧困ビジネス施設から立ち直った女性の半生

生活保護費を搾取する貧困ビジネス施設から立ち直った女性の半生

© diamond 今回は、精神障害を抱えて生活保護で暮らす1人の女性の半生から、彼女が抱え続けてきた多様な「貧」と「困」を紹介したい(※写真はイメージです)

ほぼ唯一の現金給付生活保護費の生活費分の現状

生活保護費に関する議論の中心となっているのは、「支給が現金であってよいのかどうか」を含めて、カネの問題だ。

生活保護で暮らす個人や世帯に対する生活保護費は、高すぎるのか低すぎるのか。生活保護費は、日本の国家財政にとって重すぎる負担なのか、それとも負担は不当に少ないのか。そもそも、現金がよいのか現物がよいのか。議論は尽きないが、とりあえず、現金給付となっているのは一部にすぎないことを確認しておきたい。

生活保護費のうち、世帯に現金で給付されるのはほぼ生活費だけ。それ以外はほとんどすべて、すでに現物支給となっている。家賃分は本人に現金で預けられる場合もあるが、それは契約しているのが本人だからだ。

現金は、何にでも交換できる。このため、生活保護のもとで現物給付されるモノやサービスが「健康で文化的な最低限度」に達していない場合、不足を補うためには、唯一の現金給付である生活費を使用するしかない。生活保護での家賃補助の範囲にある住宅が見当たらない場合、家賃のために生活費が圧迫されることになる。医療費のうち、必要なのに生活保護でカバーされない部分も、生活費から持ち出されることになる。

今回は、精神障害を抱えて生活保護で暮らす1人の女性の半生から、彼女が抱え続けてきた多様な「貧」と「困」を紹介したい。彼女は、何が不足していたために問題を抱えることになり、そして現在も抱えているのだろうか。現在の「まあまあ幸せ」と自認できる暮らしは、何によってもたらされたのだろうか。

和歌山県で生まれた西田浩美さん(仮名・44歳)は、3歳で幼稚園に通い始めた直後、自分が両親に虐待されていることに気づいた。

サラリーマンの父親と専業主婦の母親は、浩美さんが大切にしているモノは必ず捨て、大切に思っている友人との関係には必ず介入して破壊を試み、「しつけ」「罰」と称して多様な肉体的暴力を加えていた。

昭和家庭の“児童虐待あるある”精神科に強制入院させられた女性

このパターンは、昭和の中産階級に少なからず見られた「虐待あるある」だ。食事を食べさせ、みすぼらしくない服装をさせ、目に見えるところに傷やアザをつくらない程度の暴力しか振るっていない場合、まず「虐待」と認識されることはない。それどころか、「充分な愛情を注いでいるにもかかわらず、子どもに理解されない哀れな両親」というアピールが可能だ。周辺の大人たちの中に「何だかヘンだ」と気づいている人々がいても、他人が介入することは不可能に近い。

3歳の浩美さんは、幼稚園に通い始めて間もなく、虐待されていないクラスメイトたちと自分を比べて「ウチは、なんだかおかしい」と気づいた。しかし、何か具体的な対策を講じることはできなかった。

虐待の背景にあったのは、同居していた父方の祖母と母親の対立、いわゆる「嫁姑問題」だ。同居していた父方の祖母は、初孫の浩美さんを大切にしていた。このため、父方の祖母を嫌っていた母親は、浩美さんを虐待しはじめたようだ。さらに3歳下の妹が生まれると、母親は妹を溺愛し、父方祖母は妹に辛く当たるようになった。母親への当てつけである。

この「嫁姑問題」と、2人の娘がどちらも誰かに虐待されたり辛く当たられたりしている状況を放置し、ときには自ら虐待に参加していた浩美さんの父親は、依存症らしき問題を抱えていたようである。しかし、依存の対象を分散することにより、問題視されるほどの依存状態に陥ることを回避できていた。浩美さんの記憶の中の父親は、家庭の中で酒を飲んで暴言を吐くことが多かったものの、対外的には飲酒に関連した問題は起こしていなかった。また、買い物依存となってサラ金で多重債務を抱えた時期もあったが、返済できる金額にとどめ、後に完済したという。

医師で障害科学研究者でもある熊谷晋一郎氏によれば、人間の自立は「依存先を増やすこと」である。浩美さんの父親は、巧妙に自立していたのだろうか。それとも、巧妙に依存していたのだろうか。判断が悩ましいところだ。

浩美さん自身にも、依存症の症状が現れた。小学生の浩美さんは、身体を壁にぶつけるなどの自傷行為が止まらなくなり、ついで摂食障害が現れた。両親が飼っていた鳥に生の穀物をエサとして与えているうちに、その鳥のエサを食べることに夢中になり、「懸命に食べる」ようになった。学校では「イジメられてばかり」。

中学生になると、浩美さんは激しい拒食で痩せ細り、学校の校医などを通じて入院を勧められるほどの状態になった。さらに「世界がいきなり終わり始めるような雰囲気」を感じたり、寝ようとしたら「寝るな」という声が聞こえたりし始めた。「世界没落妄想」「幻聴」という、明確な精神症状だ。

拒食や精神症状を心配した学校関係者は介入を試みたが、浩美さんの両親が強硬に抵抗したため、医療につながることはできなかった。中堅進学校の高校に進学した後も、精神症状は悪化するばかりだった。友人や高校教職員が「保健所に相談する」などの“オトナの知恵”を駆使した結果、高校生の浩美さんは精神科で「統合失調症」と診断された。

しかし両親は「娘を勝手におかしくした」と怒り、通院治療を許さなかった。健康保険証が世帯ごとに一通だけだった時代、親は簡単に子どもを医療から遠ざけることができたし、子どもが“親バレ“しないように医療にアクセスすることも実質的に不可能だった。

リストカットが止まらない身動きできずに床に転がされて

浩美さんが初めて精神医療にアクセスできたのは、精神症状や摂食障害に苦しみながら大学の法学部を卒業して就職し、自分の健康保険証を手にした後のことである。浩美さんは23歳になっていた。両親との同居は解消されていなかったが、回復への一歩を歩み始めたはずだった。

しかし25歳のとき、浩美さんはリストカットが止まらなくなった。両親は初めて浩美さんを伴って精神科病院に行った。浩美さんは、「自分の希望でいつでも退院できる任意入院で、病棟は開放病棟」という説明を受けて入院することにしたが、気がつくと閉鎖病棟に閉じ込められていた。その扱いに傷ついて死のうとすると、鎮静剤を強制的に注射され、閉鎖病棟の中にある保護室に閉じ込められた。

精神科病院の中にある保護室は、時期や病院のポリシーによって様々だが、浩美さんが経験したのは「何もない部屋に穴を掘っただけのようなトイレ」「冷たい床」「寝具は毛布3枚だけ」「着替えもトイレも、ナースステーションから丸見え」というものだった。注射された鎮静剤の効果で身動きできないまま床に転がされていた浩美さんは、自分で毛布をかぶることもできず、寒さに震えながら監視されていた。寒くて震えている自分の姿を監視している看護師たちが、毛布を掛けに来ることはなかった。

このとき、浩美さんは「自分はもう実験動物のサルのような存在なんだ、これからの人生で、人間として扱われないんだ」と確信したという。それでも浩美さんは「退院したい」と訴え続け、3ヵ月で退院したのだが、行き先は両親の家しかなかった。職業生活を継続することも、もっと学びたいのに学ぶこともできなくなった浩美さんは、摂食障害を悪化させていった。

やがて、家にある食物をすべて食べ尽くすほどの過食状態となった浩美さんは、両親によって「依存症の人々のための支援施設」を名乗る四国の施設に送り込まれ、生活保護で暮らし始めた。それが施設の方針だったからだ。

就労することは、依存症の回復に対して有害な場合がある。ストレスや疲労感が溜まれば、解消したくなるのが人間の自然の摂理だ。もともとアルコールに依存していた人なら、スーパーやコンビニで日常生活のための買い物をするついでに、うっかり酒に手を出すこともある。

このため、依存症を専門とする良心的な施設の多くで、「充分に回復するまでは生活保護で、就労はしても控えめに」という方針が採られている。浩美さんの入所した施設も、そこだけは同じだった。

小遣いは1日わずか90円、医療が必要でも受けられない

浩美さんの入所していた施設は、典型的な「貧困ビジネス」であった。生活保護費は施設が全額預かり、8畳程度の部屋に2段ベッドが3つの「住」と、1人1日の予算が約100円という「食」を提供していたが、その生活保護の受給者本人である入所者に対しては、1日90円の小遣いしか渡されなかった。缶ジュースを1本買うことも、古本屋で本を1冊買うことも難しい。靴や服が破れても買い替えられない。もちろん、電車にも乗れない。経済的に軟禁していたようなものである。

施設側は、入所者が遠くに行く機会、第三者と接触する機会をつくらないようにしていた。円満な関係にある近親者が危篤でも、施設に入所している本人に知らされることはなかった。帰省させたら、二度と戻ってこない可能性があるからだ。

また、虫歯が痛んでも、急病で苦しんでいても治療させなかった。メガネが必要でもつくらせなかった。理由は「女性は、虫歯を治療して見栄えがよくなると売春する」といったデタラメの羅列であった。浩美さんは、その女性観に現在も憤っているが、私から見ると、施設は入所者が医療機関と接触することを避けていたものと思われる。

医療費も眼鏡代も生活保護費で賄われるため、施設には全く負担をもたらさない。ただし、施設に対する利益は全くない。医療機関が施設の実態を知れば、入居者の減少や施設の摘発につながる可能性も皆無ではない。

施設責任者は、1ヵ月に1回だけ、100円のハンバーガーを人数分買ってきて、温かなハンバーガーを入所者全員に食べさせて喜ばれていた。まるで故事成句の「朝三暮四」である。また、入所者の一部を特別な“仕事”に従事させていた。浩美さんも“仕事”を任せられていた。

その内容は、「施設に入所している約80人全員の生活保護費を銀行で引き出し、施設に持ち戻る」というものだ。入所者を分断して施設に反抗しなくするための人心掌握術として機能すると同時に、他人名義のキャッシュカードで現金を引き出すという違法行為も、合計約1000万円にもなる現金を持ち運ぶ危険も、入所者に押し付けることができる。「一石二鳥」どころではない巧妙さだ。

施設の脱走に成功友人に助けられて現在に至る

もちろん、感心している場合ではない。浩美さんは数回にわたり、現金を背負って自転車で施設に戻る途中、後を尾けられるなどの危険な経験をした。

33歳のとき、浩美さんは施設を脱走することに成功した。その後は友人たちに支えられて、関西の都市で単身での生活保護生活を開始し、現在に至っている。同時に、精神障害者保健福祉手帳・障害基礎年金も申請し、いずれも受理された。それまで申請しなかったのは、3歳下の妹が「結婚できなくなる」と両親が反対したからだった。その妹は、浩美さんが施設にいた間に結婚していた。両親は、妹の結婚相手の家族に「姉は出家して尼寺にいる」と説明していたということだ。

「妹が結婚する権利の前に、私の生存権が侵害されていたってことですよね」(浩美さん)

なお、障害年金・障害者手当などの給付を受ける場合、生活保護費はその分減額されるため、毎月の生活費の総額は変わらない。加えて、年金や手当の「まとめ支給」の問題があり、月々の収入が大きく変動し、やりくりが困難になる。

肝心なところを「適正化」できない理由とは?

浩美さんが入所していた施設と運営団体は、現在も名称や所在地などを変えながら存続している。医療機関ではなく、したがって、医療扶助まで搾取することは不可能なのが、せめてもの救いかもしれない。

現在の浩美さんは、調子のよいときには、聡明でオシャレで魅力的な女性だ。調子の悪いときの様子は、想像するしかない。調子が悪いと外出できないし、入院している場合もある。施設を脱走した後の浩美さんには、現在までに10回の精神科入院歴がある。

もちろん、摂食障害は現在も続いている。昨年は拒食から栄養失調となって入院し、現在は過食状態だ。しかし、ここ数年、拒食でも致命的な事態は引き起こさず、過食は低カロリーで安価な食材によって比較的健康的に行えている。摂食障害との“付き合い”の内容は、前進を続けているようだ。

それにしても、生活保護費でのやりくりで、自分にとって大切な費用を捻出し、「自分の生活」と言える生活を営むことは容易ではない。浩美さんは、「日本国憲法第25条の生存権には、第13条の幸福追求権が含まれているはずですよね。『この金額で幸福追求できるんかい!』というツッコミはしたいです」と、法学部出身者らしい言葉で怒る。

しかし現在の生活については、「概して『幸せだ』と思っています。少しずつ、おかしいことは『おかしい』、わからないことは『わからない』と言えるようになってきました。でも、昔はそうじゃなかったんですよね。今言える自分で、良かったと思っています。言えない人は、もっと苦しいですから」(浩美さん)と笑顔で語る。話を聞いている私も、自分ごとのように「よかった」と思う。

それにしても、これまでの浩美さんの歩みのあまりの苛酷さには、溜息が止まらない。少なくとも施設入所時は、生活保護のもと、福祉事務所やケースワーカーも関与していたはずだ。誰にも何もできないのは、なぜだろうか。

精神科病院の看護師として、入院患者の看護を含む長年の職務経験を持つ有我譲慶(ありが・じょうけい)さんは、「国や行政は社会保障費抑制を進めているわけですが、そういう施設には利用価値があるんでしょうね」と語る。

「何らかの問題を抱えた“厄介”な人を受け入れ、収容してくれる施設や病院は、行政にとって好都合という側面があるんです。過去には、施設や病院の側から、警察や保健所などの行政に“営業”活動をしていた事例がありました。現在も、寝る場所と食事だけを提供する収容所のようなサービス付き高齢者向け住宅を運営している医療法人もあります。医療では充分な利益が確保できないとなると、入所施設で“貧困ビジネス”を展開するしかないのでしょうか」(有我さん)

必要悪だが著しい人権侵害が行なわれていることは否定できない

貧困ビジネスに、必要悪という側面は否定できない。しかし、著しい人権侵害が行われていることは間違いない。

「でも行政は、構造的な問題と捉えて社会保障を根本から建て直すことを避けたいから、利用者本人の問題に注目し、“貧困ビジネス”が必要な構造を温存しているのかもしれません」(有我さん)

生活保護で暮らす本人たちの生活習慣や医療機関の利用に対する過大な問題視が支持され、「適正化」の必要性が信じ込まれている限り、構造と行政が問題にされることはなさそうだ。

わかりやすく感情を動かされやすいエピソードの表面を見るだけでは、真実はわからないかもしれない。しかし深堀りしていくと、案外その奥に真実が示されているのかもしれない。

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